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法律コラム/ブラックバイトと闇バイトの話

1 最近、闇バイトの誘いには絶対乗ってはいけないという記事が、マスメディアを賑わしている。楽して金を稼げるなんてことはないというのは当然のことだが、一定の仕事をしたのに賃金が払われないということもあってはならない。今回は、7,8年前に話題となった、学生に対するブラックバイトを取り上げる。

2 今なぜブラックバイトかというと、数日前の新聞に「自爆営業はパワハラであることをパワハラ防止法の指針に明記する」という記事が載っていたからだ。

学生のアルバイト先として、チェーンの飲食店、居酒屋、学習塾・家庭教師、パン屋・弁当屋、コンビニ、スーパーなどが好まれる。比較的短時間で学業に負担にならず稼げるからというのが大きな理由である。

3 これらの店で、それまでいたフリーターやアルバイトが次々にやめてゆき、残ったのは店長と自分2人だけ、仕込みの準備に始まり皿洗いから掃除まで休む暇なく言いつけられる、コンビニに就職すると深夜の人手が足りないと言って夜間勤務に回され結局ワンオペ状態となり休みなく出勤を強要され学業にも影響が出る、塾講師のアルバイトを始めるとふれこみと異なり生徒のための授業の準備やテスト対策の準備等にはまったく対価が払われない、授業のコマ数を無理やり増やされるといった現実に突き当たることもある。

4 このような問題を引き起こす背景事情としては、これらの業種が基本的に第三次産業のサービス業であるということだ。これらの業種の特徴は、単純でマニュアル化が容易であるということだ。それほどの経験を積むことやノウハウは要求されない。そして、本部は経営戦略に基づき、チェーン店や小売店に対し、一定の利益確保を求める。そうなると、最終的にそのしわ寄せは労働する学生たちにのしかかってくるわけだ。

5 売り上げが確保できないとなると、店の経営者は学生に過剰労働を強い、契約書を盾にとって、「働かない(実は働けないのであるが)のは契約違反だ。損害賠償を請求する。身元引受人の親にも責任を取ってもらう」などと恫喝までしてくる、売上を確保するため足りない分を買い取れ(つまり「自爆営業」)とまで言ってくるようだ。

学生は学生で、自分はまだ見習、半人前の立場だ、経営者に逆らうことはできないとあきらめ、無理な要求に屈する、過剰労働で卒業すらできない事態となるようだ。

6 法律的には、学生も労働者、過酷な仕事を辞める権利もあるし、経営者に拘束される時間については当然賃金の支払いを請求できるのだ。

こういった悲劇に遭わないために、働く以上は基本的な法律知識は備えておいてほしいものだ。経営者が「弁護士に相談する」というなら、こちらも弁護士に相談してほしい。学生であっても労働をすればそれに応じた賃金をもらえるし、理不尽な要求に従う必要などないのだ。

 

事務局ブログ/紅葉ー太平山にてー

師走に入り、朝晩の冷え込みが身に染みる季節となって参りました。年内にやり終えないといけないことがあれこれと思い浮かび、なにかと気忙しい毎日が続いております。

 

紅葉の時期には毎年必ず日光に出かけていたのですが、今年は機会を逃してしまいました。諦めきれず、例年より遅れた紅葉に間に合う場所を探して出かけた先は、栃木市(旧大平町)にある太平山。

 

山頂に近い謙信平では、赤や黄色に染まる紅葉が太陽の光を浴びて美しく輝いていました。展望デッキからは、澄んだ空に広がる関東平野の絶景が広がり、遠くには東京副都心の高層ビル群や白い雪に覆われた富士山を眺めることができました。

太平山は、地上が霧になると霧の上から島のように付近の山々が見えることから、「陸の松島」とも言われているそうです。また、太平山の三大名物と言えば「だんご」「焼き鳥」「玉子焼き」。

開いたばかりのお店でおだんごを頂き、優しい美味しさでお腹も満たされ、新しい紅葉スポットも発見でき、心躍るひとときでした。

 

 

新発見といえば、だんごは大好きでも、みたらしだんごは苦手だと思っていた夫が、実は「みたらしだんご好き」だったということ。私の勝手な思い込みで、いつもあんこばかりを選んでしまっていた…

 

結婚して23年経ちましたが、まだまだ知らないこともあるものなのですね。

改めて新鮮な気持ちを味わえた休日でした。

弁護士ブログ/旅行で現地に直接行くこと

最近のブログでは法律の話ばかり書いていました、弁護士の尾畑です。

とはいえ、事務所以外にも出かけてはおりまして、先日は車で会津若松まで足を延ばしてみました。何か用があったわけではないのですが、美味しいものでもたべて、鶴ヶ城でも見てみようかといったところです。

 

鶴ヶ城は一度天守閣が取り壊された再現天守ですが、石垣など本丸の施設は当時のものも残されており、往時の姿が偲ばれます。

千家ゆかりの茶室麟閣は、16世紀の建物が残されていました。茅葺の質素な建物ですが、木板の様子一つとっても長い年月を経ていることが見て取れ、何とも言えない風情を感じました。

一方、だいぶ荒っぽい衝撃を受けたのは名物のソースカツ丼です。

写真ではわかりにくいかもしれませんが、とんかつの横幅が箸の長さと変わりません。

厚みもすさまじく、一、二切れで普通のとんかつ一枚分はあろうかというボリュームです。

これには度肝を抜かれました。

せっかくの旅行先の料理ですし、非常に美味ではあったので、なんとか腹に納めましたが、30も半ばを過ぎた胃腸にはなかなか厳しいものがありました。

 

それほどの遠出ではありませんでしたが、いざ旅行に出てみると、やはり行かなければわからないことが多いものです。

歴史の空気だったり、とんかつを食べすぎたお腹の苦しさだったり、その時々により何を感じられるかは変わってくるでしょう。

またどこかで時間を作って小旅行をしてみたいものです。

 

事務局ブログ/坐禅効果?

ごきげんようジムカタです。

今回は以前このブログでも書いた坐禅体験をその後も続けている、私のことについて書こうと思います。

 

その前に。

この事務所ブログも今月で何と5年目に突入!年々じわじわですが、読んで下さる方も増えている様子。今後も楽しみながら(時に生みの苦しみを味わいながら)続けていく所存です。引き続きよろしくお願いいたします。

 

さて坐禅の話に戻りまして。

4か月ほど前から月に数回、坐禅道場へお邪魔している私。特に信心深い仏教徒ということではないため何やら面映ゆくもありますが、その間にあった出来事等について、つらつらと書き連ねてまいります。

 

静かな空間で我が身一つ坐禅をしていると、否が応でもその一時は自分の心身と向き合わざるを得ません。そんな時間を過ごすようになってからは、良い意味で、自分の心身への関心が高まりました。もしかすると、慌ただしく過ぎていく日常において周囲のことや人を優先しすぎ、自分への関心が薄らいでいたかもしれません。

 

坐禅を行うこととは直接関係ありませんが、禅語への関心がより高まった、ということもあります。

坐禅終了後のご住職のお話の中で出てくる禅語、その禅語について後ほど意味を調べては、自分なりに咀嚼するという時間も好きです。禅僧独特の雰囲気で語るご住職のお話は興味深く、時に笑いを堪えなければいけないほど面白く、私が道場へ通う楽しみのひとつとなっています。

ちなみにお話の中で聞いた私が好きな禅語は、「自灯明」。シンプルに「自らを灯火とし、頼りとして生きる」という意味に捉えています。

 

自宅等で一人行う坐禅も良いですが、道場というある種日常と切り離された空間で、ただ一時のご縁の方々と共にお線香の良い香りに包まれながら行う坐禅は、今の私にとって欠かせないものとなっています。

 

弁護士ブログ/野球漬けの日々

1 10月下旬は、テレビで毎日野球中継が続いた。日本ではCMシリーズ、米国ではワールドシリーズ(WS)である。何年か前までは、日本シリーズは毎年見ていたが、WSはライブで見る機会はなかった。日本選手が中心選手としての活躍するようになったことで、WSも身近になった。

2 私の子供時代は、スポーツといえば野球、野球といえば巨人、王、長嶋の時代だった。

何しろ、テレビは巨人軍の試合しかやらない、だから否が応でも巨人が好きになる。

巨人は、日本シリーズ9連覇をしたのであるが、その間、米国のキャンプに行ってドジャース野球を学んでくるといった話がよく出ていた。要するに、米国の野球は、日本人のあこがれの対象でしかなかったのである。

3 秋になると、2年に1回くらいの割合でメジャーリーグの選手が日本にやってきて日本のチームと試合をする。こちらは、ライバルとして米国チームを見ていたが、彼らはせいぜい観光旅行の一環として家族連れでやってきて日本人に野球の手ほどきでもしてやろうか程度の意識であったように思う。

4 それが、今では、日本人選手がどんどんMLBに入り、しかもWBCといった野球のいわばオリンピックで日本が優勝などするものだから、何か日本野球はMLBに肩を並べるレベルになったくらいの勢いだ。

5 話は戻るが、今回、日米の野球を見ていて気付いたことがある。WSが行われたドジャースタジアムでプレー中、観客がホームランボールではないのにフェンスの中に手をいれてグラブでボールを捕ってしまった。また、ヤンキースタジアムでは、敵チームの外野手がフェンス越しにファウルボールを捕ろうとしたら、腕を引っぱって捕球を妨害した。

こんなことは、日本の球場ではありえない。なぜなら、グラウンドと観客席がはっきりと物理的に区分けされ、観客がプレー中のボールに触れないようにできているからだ。ある意味では、日本の観客は管理されているといっていいかもしれない(もっとも、札幌のエスコンフィールドなら日本の観客でもこんな妨害ができるかもしれないが、日本人はやらないのではないだろうか)。

何が言いたいかといえば、同じ野球というスポーツでも、日本人は選手と観客は別物(他のエンタメでも同じ)と考えているのに対し、米国では同じボールあるいは野球をめぐって同じ目線で参加するという意識が強いのではないかと思うのである。もちろん、ルールがあるから観客は普段おとなしくプレーを見ているが、参加できる機会があれば手を出してしまうということになるのではないか。選手と観客の距離感が違うのである。

 

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