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弁護士ブログ/鵜飼いの衝撃

1 10月5日、機会を得て鵜飼いを経験することになった。

場所は、愛知県犬山市の木曽川のほとりでした。

皆さんは、鵜飼いというとどんなことを想像するでしょうか。一般には、演歌歌手が歌うように、長良川での鵜飼いで、鵜が上手に鮎を捕まえる優雅な姿を思い浮かべるのではないでしょうか。

2 ところが、実際に見る鵜飼いは、迫力があるというか、残酷というべきか、経験談を若干披露したいと思います。

3 実際に鵜飼いを見たことがある人は意外に少ないと思いますが、鵜が飲み込む魚(主として鮎)を吐き出させるやり方でこれを捕まえる漁のことです。

4 日がとっぷり暮れたころ、見物客の我々は、屋形船に乗り込みほろ酔い気分になりながら船上で漁が始まるのを待ちます。すると、川の上流の方から鵜を連れた鵜匠が小舟でやってきます。舟の舳先には松明がつけられ、首縄をつけられた鵜が、川の流れに沿って進んでゆきます。説明によると、この松明の灯に引き寄せられるように近寄ってくる鮎を鵜が潜って飲み込むようです。この松明の温度は約1200度ということで、我々は屋形船から10メートル近くまで鵜飼い舟に近づくのですが、それでも相当の熱さを感じます。火の粉は鵜匠にもかかるので、鵜匠は川の水をかけて顔を冷やしながら、鵜をコントロールするのです。

5 鵜が首尾よく鮎を捕まえ一旦胃袋に飲み込んだ鮎を吐き出させるやり方で漁を繰り返すのです。ただ、実際には、鵜も鮎も黒っぽいので、私は鵜が鮎を捕まえた瞬間を見ることはできませんでした。

6 鵜匠になるには、数年間の訓練を受ける必要がある、今回の鵜匠は女性の方だったが、女性は全国でまだ二人だそうである、鵜にも鮎捕りのうまい鵜と下手な鵜がいる、鮎の寿命は20年くらいだが8年前後が働き盛りで、これを過ぎると楽をして鮎を捕ろうとする、

何か、人生の縮図を見るようである。

事務局ブログ/泣き相撲と秋祭り

10月に入り、朝夕の涼しさが増してきました。今年も残り3か月となり、時間の流れの速さを実感します。

鹿沼市樅山町にある生子(いきこ)神社では、毎年9月19日以降の日曜日に、国選択無形民俗文化財「生子神社の泣き相撲」が開かれます。この行事は、子供の健やかな成長を祈願して開催されており、赤ちゃんが土俵の上で泣くことで、健康と幸運を願う伝統的な儀式です。私自身も遠い昔に母に連れられて参加しており(幼すぎて記憶はないのですが、力士に抱えられた写真が残っています)、我が家の息子2人も赤ちゃんの頃に参加していました。

今年は9月22日に開催され、友人家族が参加しました。友人のお子様が泣いている姿を見て、我が子の幼い頃の思い出が蘇り、気持ちが和みました。

 

さて、鹿沼ではまだまだお祭りが続きます。10月12日と13日の2日間、ユネスコ無形文化遺産に登録されている秋祭りが開催されます。この秋祭りは、豪華な彫刻屋台やお囃子の競演が見どころで、毎年多くの観光客が訪れ、友人家族も我が家に宿泊しつつ、お祭りに参加する予定です。一時ではありますが、幼い子供の無邪気な姿を見守りながら、楽しい時間を過ごすことができそうです。

 

鹿沼市内の各所に提灯も灯り、徐々にお祭りが始まる実感がわいてきました。

皆様もぜひ、鹿沼の秋祭りに足を運んでみてはいかがでしょうか。

賑やかな雰囲気と伝統的な行事を楽しみながら、素敵な秋のひとときをお過ごしください。

法律コラム/総理大臣の衆議院解散権

自民党総裁選、立憲民主党党首選が相次いで終わり、世のメディアの話題は総選挙の見通しに移ってきました。

こういった時期になるとしばしば話題に上がるのが、「総理大臣は衆議院解散のタイミングを選べるのか」という問題です。

時期もよいので、憲法の条文を含め、ご紹介させていただこうかと思います。

 

衆議院の解散が問題となるのは、憲法上、衆議院を解散する権限についてはっきり定めた条文がないためです。憲法上これについて記載した条文は2つあります。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

(略)

三 衆議院を解散すること。

(略)

 

第四十五条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

 

第五十四条 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。

② 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。

③ 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。

 

第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

 

第7条では、ことばの上では天皇が衆議院を解散することになっています。しかしながら、天皇に具体的な権限がないことは第4条に定められていますから、天皇が衆議院を解散することを決める権限があることを意味しません。誰かが決めた衆議院の解散の儀式を、天皇が行うという意味と考えられています。

 

第45条と第54条は、衆議院が解散された後どうするかを書いたもので、誰がどういった場合に解散をするかについての説明はありません。

 

第69条では、内閣不信任決議が可決された場合、衆議院が解散されなければ、内閣は総辞職をすることが決められています。ここでも、誰が衆議院を解散できるかは書かれていません。

 

こういったわけで、日本国憲法には、どうも衆議院は解散できるらしいことは書いてあるものの、解散の権限がどこにあって、どの程度のものなのかはっきり書かれていないので、議論になっていたわけです。

 

 

この問題については諸説ありますが、よく紹介されているものとしては、憲法第7条から考える説と、第69条から考える説があります。

 

現在の運用は、憲法第7条から考える説で、内閣に比較的自由な解散権限を認めます。

先ほどご紹介したとおり、憲法第7条は、天皇が衆議院の解散を行うこととされていますが、この行為は「内閣の助言と承認」によるものとされています。

そうであれば、いつ解散するかも、「助言と承認」の範囲内のこととして、内閣が決めてよいとする考え方です。

 

一方で、解散を強く制限するのが、憲法第69条から考える説です。こちらは、憲法上衆議院を解散する場合について記載されているのが第69条のみであることに注目しました。

であれば、衆議院を解散できるのは、第69条に記載された、内閣不信任案が可決された場合に限られるとするものです。

 

 

理屈としてはどちらも決め手に欠けるのですが、憲法第69条の場合に限るとする考え方は厳しすぎるという考え方が多数派のようです。

たとえば、内閣と国会が対立して予算が通らなくなった場合に、解散できないとすると、ずっと予算が通らず身動きがとれなくなってしまう可能性があります。このとき、内閣が職を賭けて総選挙を行い、どちらが国民の支持を得られるか明らかにする必要性は否定できないでしょう。

 

いずれにしても、国会の選挙は重要な事柄ですから、現状のようにはっきりしない理屈で運用されているよりは、憲法の条文を普通に読んで分かるものである方が望ましいとは言えます。

もし、今後憲法を改める機会があれば、このあたりも条文でしっかり決めておいた方が良いのかもしれません。

事務局ブログ/夏の名残 栃木市立美術館にて

ごきげんようジムカタです。ここ数日来、気が付けばすっかり秋の気配。酷暑にげんなりしていた日々が嘘のように、虫の音を楽しむ心の余裕が出てきます。本格的に終日寒くなる前のこの時期は近年特に短いですが、私にとってはお気に入りの長袖の薄手ブラウスを着たり、重ね着をしたりとファッションを楽しむことも出来る、貴重な季節です。

また、「食」を楽しむ季節としては言うに及ばず。我が家では先日、お待ちかねの新米を栗ご飯で頂きました。日本の食文化を愛してやまない時間です。

さて先日、栃木市立美術館にて企画展『夏にたのしむ器 竹のかたち×陶のいろ』の鑑賞をして参りました。今回の企画展は、「夏にたのしむ器」をテーマに、館の収蔵品を中心に竹の花籠などの形、陶磁器に装飾された色に注目したとのこと。私としては特に、事前に写真で見ていた茶碗や水滴の実物の色や形を愛でることを主眼に赴いたのです。

実物は時に想像を超えてくるものですが、今回もそれを思い知る作品の数々に出会いました。中でも私の目を惹きつけたものは、加藤土師萌作『釉裏金彩波千鳥文茶碗』。金箔の上に描かれた緑色の波模様の色のコントラストが実に鮮やか。また茶碗の中に描かれた千鳥が、お抹茶を点てた際にはその波の上を飛んでいるように見える演出にも心憎さを感じました。こちらは館所蔵品のため、今回の企画展以外でも鑑賞することが出来るでしょう。

陶磁器は飾っても良し、使っても良し。特に日常で使う器は、生活に心の潤いをもたらしてくれます。私も先日ご縁があって購入したばかりの織部(深みのある暗緑色)の小鉢に早速何を盛ろうかな?お芋の炊いたのが良いかな?などと想像しては、残暑(初秋)の暮らしを楽しんでいます。

 

法律コラム/選択的夫婦別姓について

総裁選をきっかけに、選択的夫婦別姓の問題が取沙汰されている。何が問題なのか、弁護士の立場から考えてみたい。

1 結婚して法律上の夫婦となるとき、今の法律では、夫か妻のどちらかの姓を名乗らなければならない。つまり、どちらかは、それまで使っていた姓を変えなければならない。

これに対し、この夫婦同姓制度に加え夫婦がそれまで使っていた姓をそのまま使ってよいという夫婦別姓を選ぶことができるという制度が「選択的」夫婦別姓制度である。

選択的夫婦別姓が望ましいというのが、今年のNHKや日経新聞等の世論調査の6割以上の人の意見だとされ、今月15日共同通信による全国都道府県知事、市町村長に対するアンケートでは78%であるとのことである(下野新聞9月16日朝刊)。

2 私は、昭和生まれ、地方育ちの人間である。結婚すれば夫婦は同じ姓(大部分は夫の姓)を名乗り、子も未婚の間は親の姓を名乗り、亡くなれば夫の姓の○○家の墓に入るということに何の疑問も持たなかった。社会生活を送るうえで特に不便を感じることもなかった。昭和や平成初めの夫婦像は、例外はあるにしろ、夫は外で仕事、妻は専業主婦というのが一般的であった。この夫婦像に夫婦同姓はなじみやすかったともいえる。

3 なぜ、夫婦同姓制度だけだとまずいのだろうか。法律的にはこうだ。結婚の自由は憲法で認められているのに、それまで使ってきた姓を捨てない限り結婚できないというのでは、結婚の自由がないことになる、また氏名は個人の人格の一部だから制約されるべきものではない。憲法では、結婚は両性の合意のみで成立すると言っているのに姓を変えなければ結婚できないというのはこれに反する、また、建前上は、夫、妻どちらの姓を名乗ってもよいことになっているが実際は95%の夫婦が夫の姓を名乗っている、これは男女平等の理念にも反するのではないか。さらに、国際的にも、夫婦同姓を義務付ける国は日本のみであることから、国連の女性差別撤廃委員会から日本政府に対し、是正勧告がなされている。

4 最高裁判所は、2015年判決、2021年決定で、いずれも夫婦同姓の強制という現民法は憲法に違反しないと判断している。ただし、憲法に違反する、違反の疑いが強いとする少数意見の裁判官の割合は確実に増えている。

法律の解釈は、形式的に決まるものではなく、国民の意識や社会環境の変化に大きな影響を受ける。平成に入ってから女性の社会進出が進み、職場等で既婚者でも結婚前の姓を使いたいという意識が高まり、職場では通称として結婚前の姓を認めるという扱いが定着してきたものの、税や社会保障などの公的手続や金融取引では依然旧姓を用いることの制約が指摘されている。また、海外では通称が一般的ではないことからダブルネームとして不正を疑われる等の不都合が指摘されている。

5 夫婦別姓制度の核心は、個人の尊厳の問題である。人間は、だれも個人が個人として尊重されなければならないのか、家族制度、家制度がこれに優先するのか。人間が、とりわけ女性が自分の自由意思に従って結婚前、結婚後の姓を名乗れるかという民主主義の根幹にかかわる点にある。自分は不都合を感じていないから認める必要はないということにはならない。

 

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