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事務局ブログ/美術品の数奇な運命

ここ最近の朝、目が覚めて一番に発してしまう言葉。「寒い、さむーい!」季節は巡るもの。秋の紅葉を楽しみながら、もう冬の訪れを日々感じているジムカタです。

 

11月6日付け下野新聞朝刊第一面を見て、とても驚きました。

『歌麿の「深川の雪」香港で競売へ 国内唯一の肉筆3部作 栃木市の複製画展示に影響の可能性も』

記事によると、『喜多川歌麿の代表的な肉筆画3部作で、栃木市内で制作されたと考えられている「雪月花」のうち、国内に唯一残る「深川の雪」が、香港で(11月)22日に開催される競売に出品される』とのことなのです。

この「深川の雪」は2012年に国内で見つかるまで、何十年か所在不明だったもので、発見されたとの報道を耳にした際には、「歌麿が制作した場所である栃木市で、所有展示することになったら素敵~」、などと楽しみにしたものですが・・・あえなく箱根町の岡田美術館のものに。そして栃木市には、「深川の雪」の高精細複製画が展示されることとなったのです。

ところが国内での発見から13年、その「深川の雪」が今度は海外での競売に出品されることになったわけです。しかも『落札者の意向次第では(栃木)市が所有する高精細複製画の展示に影響を及ぼす可能性があ』る(同記事)とのこと・・・。

今年は大河ドラマの影響もあり、栃木市はますます「歌麿のまち」として地域活性を図っています。私の居住する宇都宮市からほど近い栃木市で、高精細複製画と言えど歌麿の大作を見ることも、訪れた折の楽しみにしておりました。もし複製画の展示すらもかなわない、本物は海外に出たまま日本国内に戻らないということになれば、本当に残念なことです。

 

もはや美術品は、世界規模のマーケットで流通される「商品」と化しています。

しかしそもそも美術品の評価自体、その付いた値で決まる、という側面は確かに昔から否めぬもの。「深川の雪」が今後どのような運命を辿るのか、いち美術ファンとして見守っていきたいと思います。

 

弁護士ブログ/退職代行サービスの問題点

1 退職代行サービスとは

一般に業者にお金を支払うことで、業者が本人に代わって、退職の意思を会社に伝えるサービスです。

 

①たとえば、新卒社員が、会社を辞めたい、これまで支払われていない残業代を請求したいという相談を受けた退職代行サービス(業者)が、本人に代わって会社に伝えたところ、会社側は、「辞める人に残業代など払わない」と言われた。業者は、「それは法律違反だ。残業代は○○になる」と主張し、話し合いの結果、残業代が支払われた。

②また、ある社員は、退職代行サービス(業者)に、契約期間の途中で会社を辞めたい、在職中に受けたパワハラの慰謝料を請求したいという相談をした。業者は、労働組合と提携しており、法律的な問題につき交渉になったら、提携先の労働組合が行うと言った。本人は、業者にお金を払って依頼した。業者が会社に本人に代わって伝えたところ、会社は、パワハラの事実を否定した。業者は、労働組合と交代し、労働組合が話し合いを行った結果、会社はパワハラを認め、慰謝料が払われることになった。

 

①の場合、残業代の請求は、労働基準法で認められた労働者の権利です。計算の仕方も含め法律的な問題があり、これらは弁護士以外の者がやってはいけない行為、つまり非弁行為となります。

②の場合、契約途中で会社を辞めること(雇用契約の解約)や、パワハラに基づく慰謝料などの損害賠償請求は、法律的な問題です。この事例では、業者は本人からお金を受け取って法律問題について、話し合いになったら提携先の労働組合が交渉を行うとしています。しかし、お金を受け取って法律問題の処理を他者(労働組合)へあっせんすることは非弁行為です。労働組合が交渉する場合であっても、当該組合の行為が非弁行為にならないとは限りません。

 

「退職代行サービスモームリ」の運営会社が、10月22日、警察の家宅捜索を受けました。非弁行為の疑いによる捜査です。警察もさすがに「もう無理」放置できないということだったのでしょう。

非弁行為がなぜ禁止されるかといえば、依頼者の正当な権利の実現ができなくなるおそれがあるからです。

ちなみに、退職代行サービス業者が、弁護士に勤務先との交渉を取り次ぐ見返りに弁護士から紹介料を取ることも禁止されています。弁護士が依頼者ではなく退職代行サービス業者の言いなりになる可能性がある、弁護士費用がその分高くなる危険性があるためです。

厚生労働省の調査では、退職代行サービスの利用率は、20代で5人に1人に近いそうです。2~3万円でたのめるのはお手軽感があるのかもしれませんが、直接弁護士にたのむのが解決の早道かもしれませんね。

事務局ブログ/彫刻屋台

日中はブラウス一枚で過ごせる日もあれば、気温が上がらず冬物のジャケットを羽織ったり、ストールを持ち歩いたりと、日によって気温の差が大きく、服装選びに迷う季節となりました。

皆様体調など崩されていませんか。

 

10月の第2土・日曜日に開催された鹿沼秋祭りも、初日は雨で肌寒く、ずっと外にいると身体が冷えて震えてしまいましたが、2日目は暑くて半袖を着ても太陽の下では汗をかいてしまうほどでした。

 

鹿沼今宮神社祭は、慶長十三年(1608年)、干ばつに苦しむ人々が三日三晩の雨乞いを行い、雷雨を呼び寄せたことに始まります。神の霊験に感謝し、祭りは宵祭りと例祭として受け継がれ、氏子34か町のうち屋台を持つ27か町から毎年20台ほどの屋台が奉納されるそうです。34か町の氏子町は上組、下組、田町下組、田町上組の四つの組に分けられています。

 

今回のブログでは、上組天神町の屋台を少しご紹介したいと思います。

 

この屋台は白木造りで、彩色を施さず、木肌の美しさと彫刻の力強さが際立っています。

鬼板と懸魚には波間に向かい合う雄竜、脇障子には竜と虎、障子回りや後ろ障子にも竜が巡り、高欄下と車隠しには「牡丹に唐獅子」が配されています。

また、琵琶板や外欄間には尾長鳥と梅(部分的に桜)を配し、繊細な「小桜」の技法が施されています。屋台の随所には、リスやにわとりといった身近な生き物の彫刻も見られ、自然への親しみが感じられます。

全体として、厚みのある彫刻が安定感を生み、均整のとれた構成がこの屋台の魅力となって、華やかさよりも、静けさの中に宿る力を感じさせる重みのある屋台だと思います。

 

 

今年のお祭りには長男も帰省し、友人家族も泊りに来て賑やかな時間を過ごしました。大学生と高校生の息子たちと4歳の男の子が年の離れた兄弟のように遊ぶ姿が愛おしかった。

我が家では祭りの衣装の片付けも済み、秋の終わりを感じながら少し物寂しさも覚えております。

弁護士ブログ/交流会に参加して

先週末は、茨城県の筑波で弁護士会の交流会があり、参加してきました。

他県といっても栃木県境に近い地域で、北関東自動車道も使えますので、車で1時間程度の距離です。今回は予定が終わり次第取って返す訪問でしたが、機会があれば観光旅行にも行ってみたいところです。

 

交流会では、茨城県内の外国人を取り巻く状況についての講演や、意見交換がありました。

茨城県は、お馴染みのとちぎ海浜自然の家など海に面していることから、港湾や空港により海外に開けています。このためか、在住外国人の人口は、栃木県の倍近く、10万人を超えます。

一方で、ベトナムや中国からの来日が多く、技能実習や特定技能の在留資格を持つ外国人の増加などの傾向は、本件とも共通するところです。

課題として特に言語障壁の問題が取り上げられ、多言語での情報発信や、外国人住民に対する日本語教育の確保についてお話がありました。

現場の支援者の方からは、主に外国人の児童生徒の支援についてのお話があり、教育支援に加え、進路支援についても現状を知ることができました。

また、技能実習を前提とした雇用によって生じたトラブルについてのお話もありました。就労系の在留資格の中でも特殊な内容であり、特に注意が必要と感じました。

 

私自身ご依頼を受けたこともありますが、日本の学校で教育を受けた、言語障壁もクリアした外国籍の方々が、在留資格の知識不足で就職活動に難儀してしまう場合もあります。

次回の当事務所のセミナーでは、これらの問題も踏まえて、使用者の視点から、外国籍の方を雇用する際の基礎知識についてご紹介することを予定しています。ご興味のある方はぜひご参加いただけますと幸いです。

 

事務局ブログ/名作映画 再び

朝晩すっかり冷えてきましたね!

夜風の丁度よい涼しさを味わう暇もなく、寒い冬へ突入してしまうのか・・と思うと忍びなく、今夏に覚えた「しろくまアイス」を今のうちにもう一度くらい味わっておこうか?と考えているジムカタです。

 

つい先日、久しぶりに古い映画を大画面で鑑賞する機会に恵まれた。場所は鹿沼市民文化センター(「かぬまケーブルテレビホール」とも)。昨年初旬に同様の映画鑑賞を同所で経験した私(事務局ブログ/名作映画に見惚れてきました)。今回もとても楽しみに伺った。

今回も昨年同様4本立て、私が特に楽しみにしていたのは2本目の『嵐を呼ぶ男』(1957年公開)。言わずと知れた石原裕次郎の更なる出世作だ。裕次郎扮する主人公国分正一が、指を負傷してドラムを叩くことができず、とっさにマイクを握って歌い始めるというシーンはあまりにも有名。作品自体、私は何度か観ているのだけど、何度観ても良い。特に上記シーンはやはり心に残り、見終わった後しばらくは、つい「おいらはドラマー♪」と口ずさんでしまうのだ。

若い頃の裕次郎はだいぶイカしているが、今回1本目の『暁の脱走』(1950年)の主人公を演じた若い頃の池部良も、かなり素敵!また私自身の親世代との会話ネタが増えました。

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