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弁護士ブログ/生成AIの話

年の初めに当たり、せっかくなので夢のある話をしたいと思う。これからの社会を大きく変える可能性のある生成AIの話をさせていただく。

1 AIは、人工知能(Artificial intelligence)のことを言う。

一昨年に、Chat GPTが話題になったが、これもAIの一種である。

GPTとは、Generative Pre-trained Transformer の略であり、日本語では、「生成的事前学習済みトランスフォーマー」と言い、トランスフォーマーの一種ということである。

ここで事前学習済みとは、言語データをあらかじめ読み込んで整えてあること、トランスフォーマーは文章が入力されると適切な文章にする変換器のことである。

2 そして、生成AIは、人間の質問に適切な回答をする、回答は人間の回答と同じく不自然なところがない、回答は信頼できる内容であるということである。

人間と同じく、質問に対して自然に答えてくるが、決定的に違うのは、人間は答えるときに言葉に現れない思い、つまりこういう答えでよいのか、相手はどう思うかといった意識、自分や他人や世界などを意識しながら話をする。しかし、生成AIは、こういった意識を持っていない。質問に対して回答するという、計算メカニズムがあるだけだ。生成AIは、人間の自然な発言を学習し、二次加工して再現するのである。

3 そもそも、人間が話す言葉が創造的で、生成AIが話す言葉は機械的だというのも一面的な見方ではないか。人間は他者との関係を円滑に保つために大体は定型的なありふれた言葉を使っている。「あけましておめでとう」「本年もよろしく」「よいお年をお迎えください」みんな、定型的な表現である。創造的な表現とは言いにくい。もちろん、人間は定型的な言葉ばかり話すわけではないが。

生成AIが言葉を生み出す高度な性能を備えていることは確かのようだ。社会は、人間が言葉を交わすことを前提として成り立っている。

人間にとって生成AIという、言葉を話せる強敵が現れたことによって、社会や教育やビジネスの世界が大きく変わろうとしていることは確かである。

 

事務局ブログ/2025初日の出

新年を迎え、早くも一週間が過ぎようとしています。寒さが一段と厳しくなってまいりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

このお正月には、99歳になる夫の祖母と過ごす時間が多くありました。大正、昭和、平成、令和と、四つの時代を生き抜いてきた祖母の話はどれも貴重なものでした。モノクロの写真を眺めながら昔話をする夫の祖母が、今は亡き自分の祖母と重なる部分もあり懐かしさを感じることもありました。

予期せぬ事態が次々に起きる現代ではありますが、様々な経験を通して自分自身も成長し、後世に伝えていけるようになりたいと思います。

 

さて、今年初の画像は地元の御殿山球場から見た初日の出です。

お天気にも恵まれ、美しい初日の出を拝むことができました。

当事務所のブログをお読みくださる皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

お知らせ/冬期休暇のお知らせ

弁護士法人高木光春法律事務所です。

当事務所は下記の期間を冬期休暇とさせて頂きます。

当該期間中に頂いたメールやお電話(留守番電話へのメッセージ)には、新年1月6日(月)以降に順次返信いたしますのでご了承ください。

<冬期休暇期間>

令和6年12月30日(月)から令和7年1月3日(金)まで

※土日祝日は通常通り休日となります。

 

法律ブログ/無罪判決と憲法

今月に入り、紀州のドン・ファン事件(12日)、猪苗代湖ボート事故控訴審(16日)、滋賀医大生が被告人となった性的暴行事件の控訴審(18日)と、無罪判決が相次いでいます。

特に紀州のドン・ファン事件は一審判決のため、検察側が控訴するかが注目されています。

 

日本では原則として三審制が取られており、検察、被告人いずれも、控訴、上告を行うことで、三段階の裁判所の判断を受けることができるようになっています。

ですが、このシステムは国によっては必ずしも当然ではありません。

アメリカを含む、イギリスの法律の影響の強い国では、原則として検察側の控訴や上告が許されていません。「二重の危険」の禁止と言われており、検察側は基本的に一発勝負です。

 

実は、日本でも同様のルールが定められているという考え方があり、実際に裁判で争われたこともあります。

このルールはアメリカでは憲法修正5条において定められており、

nor shall any person be subject for the same offence to be twice put in jeopardy of life or limb
何人も、同一の犯罪について、重ねて生命及び身体の危険にさらされることはない

と記載されています。

一方、アメリカ人が中心となって起草された日本国憲法尾のGHQ草案37条は、これをよりシンプルにして

No person shall be twice placed in jeopardy for the same offense.

と規定しています。もとの修正5条にあった” life or limb(生命または身体)という表現を削り、限定なく二重の危険を禁止した条文となっています。罰金のような財産刑について例外を許さないことを目的とした修正でしょうか。

これが日本国憲法39条になると以下のような記載になります

同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

このように、作られた経緯をたどっていくと、日本国憲法第39条は、アメリカ合衆国憲法修正5条をもとにしたものであるようにも見えます。

しかしながら、日本の最高裁は昭和25年、この条文について、「訴訟手続の開始から終末 に至るまでの一つの継続的状態と見る」と述べて検察側の上訴を認め(一部の裁判官はもう少し詳しく、日本国憲法とアメリカ合衆国憲法で表現や前後関係が異なることも指摘しています。)、実務として定着しています。

 

弁護人を担当する側としては、ようやく無罪判決を受けた被告人について、控訴や上告によってさらに長期間不安定な状況に置き続けることは酷でもありますし、憲法39条検察側控訴を原則として禁止した「二重の危険」の禁止を定めた条文として扱ってもらいたいとは思います。とはいえ、長らく定着した憲法運用でもあり、なかなか今後変わっていくことは難しいかもしれません。

 

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