法律コラム/ー戒名のはなしⅡー

戒名は、本来仏教徒になった者に対し生前に授けられるべきものであるにも関わらず、現実にはほとんどの人が死後に戒名を授かるという矛盾した事実がある。また、本来、戒名は布施でなされるべきなのに、戒名料を払わされるのが現実である。あたかも、戒名は「死後の勲章」のようである(島田裕巳「戒名は、自分で決める」幻冬社新書)。

ところで、葬儀の際に寺院に支払う読経料は、通夜と翌日の葬儀・告別式で合計20万円くらいが相場のようである。しかし、葬儀はそう頻繁にあるものではなく、読経料や棚経(彼岸や盆などに住職が檀家をまわって仏壇の前で読経、供養する儀式)だけでは寺院の経営は成り立たないという事情があるようである。多くの檀家を抱えた寺院なら経済的に成り立つが、檀家が少なければ、住職は兼職あるいは会社、役場、学校などで働き、退職後に住職に専念するしかないといったこともあるようである。

また、考えたくないことであるが、戒名のつけ方についてのガイドブックのみならず、故人の俗名、人柄、職業をもとに戒名を作成するためのソフトウェアも販売されているようである。

あまりこのようなことを言うと、戒名不要論に行きつきそうであるが、寺院側としても、高額な戒名料を求めるのであれば、檀家を納得させるための合理的な説明をする必要があるのではないだろうか。戦後バブル期(平成4年ころまで)位までは、戒名料も資本主義経済の枠外にある、不文律の世界にあった。しかし、昨今の経済事情、墓や家制度に対する考え方の変化に照らすと戒名についても経済合理性を考慮せざるを得ない。翻って、我が弁護士業界を見ても、常に報酬規定の可視化、明確化が求められている。弁護士報酬はお布施ではないのだから。

(弁護士 高木光春)

 


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