法律コラム/死刑執行と冤罪

死刑制度という重いテーマについては、その存廃を巡りいまだに結論が出ていない。

もちろん、私もここで廃止論がいいとか存置論が妥当だとか議論するつもりもない。

ただ、死刑廃止論の根拠としてよく言われるのが、冤罪、つまり本当はやっていない人がやったとして死刑判決を受け、執行されてしまった場合に取り返しがつかないということだ。

判決が間違っていた、だから、死刑判決はなかったことにして元に戻します、なんてことはできない。執行され奪われてしまった命は元に戻らない。

1992年、福岡県飯塚市で幼女2人が殺害された「飯塚事件」では、被告人の死刑判決が確定し、2年後には死刑が執行された。

刑事訴訟法では、死刑の執行は、法務大臣の命令によるとされる(475条1項)。この命令は、判決確定から6か月以内に出さなければならないが、再審請求がなされているような場合は延期される(同条2項)。そして、法務大臣が死刑の執行を命じたときは、5日以内にその執行をしなければならない(476条)。死刑判決が確定した後法務省の各部署や刑事局等の議論を経て、最終的には法務大臣の決裁で死刑執行の命令書が発出される。それほど、死刑執行は絶対的、不可逆的な行為である。1948年に発生した帝銀事件では、死刑囚となった平沢貞通が95歳で亡くなるまで執行されなかったことは語り草にもなっている。如何に同人を犯人と断定することが困難だったかを物語る事実である。

さて、前記飯塚事件で死刑が執行されたわずか半年後の2009年6月、「足利事件」の菅谷利和被告が釈放され、同日再審開始を認める意見書が検察から東京高裁に提出された。「足利事件」の再審無罪の決め手となったのは、科捜研のDNA鑑定の信用性の乏しさである。実は「飯塚事件」で有罪の決め手のひとつとなったのも同じくDNA鑑定であった。

本年2月16日、福岡高裁は、「飯塚事件」の第2次再審請求につき、再審開始を認めない決定をした。既に死刑執行されてしまった案件に関する、再審開始の困難さ、虚しさを改めて感じた次第である。

本コラム作成中の2月24日、「日野町事件」について、最高裁第2小法廷は、再審開始の決定をした。この事件は、元受刑者が、強盗殺人罪で無期懲役が確定し、服役中に75歳で病死したケースである。病死ではなく、死刑が執行され人命が奪われたという意味において、「飯塚事件」の重大さが改めて浮き彫りになった。

 


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