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弁護士ブログ/いかに国内食品を育て、いかに日本農産物を輸出するか

1 少子高齢化の影響により、わが国において農産物や食品の需要がしぼむ中、加工・業務用野菜の需要が拡大している。つまり、生鮮食品ではなく、出来合で食卓に並べられる、調理食品、中食の需要が増えている。

皆さんはご承知であろうか。加工・業務用野菜のうち、国産品は非常に少ない。特に冷凍野菜に至っては、国内産は6%にすぎない。ところが、新型コロナのパンデミックを経て、原料を国産品に変えてゆこうという流れができつつある。コロナを契機に「むきタマネギ」(根と茎を切り落とし、皮をむいて、可食部だけにしたもの)の中国からの輸入が止まってしまったために国産品を使わざるを得なくなったようだ。国産品を使うためには、生産地や産地、加工業者や流通業者、冷凍食品会社を結びつける必要性が高いが、まだまだ緒についたばかりのようである。

2 「米離れで、パックごはんがすすむ」というのが「サトウのごはん」で有名な佐藤食品のキャッチフレーズである。主食用米が一割需要を減らした間に、売上高が二倍になったとのことである。この理由は、コロナ禍で家庭内での食事が増えたことと米を炊く時間はないが暖かいご飯を食べたいという需要に合ったためだ。また、一人暮らしの高齢者もパックご飯を好むようである。

3 小麦についても、外国産への依存度が高い。米離れが進む中、パンの需要は増え続けており、コメに比べて収益性の高い小麦に生産の舵を切る必要性も高いようだ。

4 日本酒の海外への輸出の機運が高まっている。また、意外なことだが、抹茶ラテ、抹茶入りスムージー、抹茶風味のケーキなどmatcha が世界を席巻している。国産農作物が海外で高い評価を得ているのは、優れた品種のためである。いちごやりんごなどの果実はその代表格だが、わが国は知財戦略において諸外国に比べて遅れている。海外に優れたパートナーを持ち、許諾料を得て、パートナーに権利侵害をチェックさせるような仕組みを作ることが重要である。

 

「人口減少時代の農業と食」(ちくま新書)を読んで、これからの農業や食の問題を改めて考えさせられた次第である。

事務局ブログ/季節の移ろいを感じながら

気温が上がり汗ばむ季節がやってきました。

来月のマラソン大会に向けて休日はランニングを続けています。

土曜日は花びらが舞う桜並木を、日曜日は少し距離を伸ばし新緑の山を眺めながら走りました。

季節は春から初夏へ変わっていることを実感し、いつの間にか心も身体もリフレッシュできたような気がします。

適度に運動し心と身体を鍛えながら、新年度も頑張ります!

法律コラム/債務整理のタイミング

望ましいことではないですが、多額の債務を抱え、破産手続きによる債務整理が必要となることがあります。

特に、事業をしている方などは、取引先に迷惑をかけないよう、ぎりぎりまでがんばってしまうことも珍しくありません。

しかし、ここに二つの落とし穴があります。一つは裁判所に納める予納金、もう一つは、「否認権」です。

 

実は、破産手続きには結構な金額の費用がかかることがあります。

勤め人であれば、裁判所に納めるお金は一,二万円程度で済むこともありますが、個人事業主でも数十万円、法人破産になると百万円近くの準備が必要となることも珍しくありません。

場合によってはこの費用が捻出できず身動きが取れなくなってしまうこともあります。

 

また、関係が深い取引先に迷惑をかけないよう優先的に支払いをしてしまったり、資金繰りのために不動産などを売却してしまったりすることがあります。

破産の際には、財産を管理する「破産管財人」に否認権という権限が認められています。これによって、一部の債権者だけに対する支払いの返金を求められたり、不動産などの売却を取り消されてしまったりすることがあります。また、これを理由に財産隠しなどを疑われてしまい、破産手続きがスムーズに進まなかったり、却って迷惑をかけてしまうこともあります。

 

このように、本当に資金が回らなくなるぎりぎりになってから破産手続きについて相談すると、様々なリスクがあります。

早期の弁護士への相談が効果的な場面は多いですが、会社の債務整理は特にその傾向が強い分野と言えるでしょう。

事務局ブログ/心も開く季節

ごきげんよう、ジムカタです。

先日の仕事帰りに夜桜を見る機会がありました。開花から日が経つものの、未だ咲き残っていた宇都宮城址公園の河津桜です。宵闇に浮かぶ名残の桜を見ていたら、週末の疲れがゆるやかに解けていくようでした。

ここのところだいぶ気温も上がり、すっかり春らしい日々になってまいりましたね。寒い冬を経て、春は芽吹きの季節。草花の開花や季節の変化に自分自身の成長や変化を重ねたり、また心を開いて他者と接する前向きな姿勢や生きる喜びを重ねる方もいるかもしれません。

「心を開くとは、他者に迎合することではない。」と、自身の著書『悲しみの秘儀』の中で若松英輔は書いています。そうすると、「相手だけでなく、自己からもどんどん遠ざかってしまう。」むしろ、「心を開くとは、自らの非力を受け入れ、露呈しつつ、しかし変貌を切望することではないだろうか。」と続けています。

『悲しみの秘儀』は、妻を亡くした若松が悲しみや喪失、孤独という感情と向き合いながら綴った作品。数年前に購入したものの著者の言葉を受け取る準備が十分でなかった私が、また少し人生経験を重ねた今ひも解いてみると、深い悲しみを経た温かな眼差しによる言葉の数々で、心がふくよかに満たされていくのを感じます。良質な読書体験によってもまた心が開かれ、知らなかった自分に出会うこと・変化を楽しむことも出来ると思うのです。

ちなみに上記の若松の文章は、次のような文で締めくくられています。

「変貌の経験とは、自分を捨てることではない。自分でも気が付かなかった未知なる可能性の開花を目撃することである。」

 

弁護士ブログ/「事務」というものについて

皆さんは、「事務」という言葉を聞いてどう思うだろうか。統計によれば、事務職は日本の労働人口の実に2割を越え、全業種のトップということだ。

しかし、事務から連想するイメージは、「事務処理に追われた」「事務的な態度」「事務的な電話」とすこぶるよくない。「事務処理能力がある」というのも、心からの誉め言葉ではなく、能力が高いというよりも、小手先の要領の良さを指すことが多いようだ。

事務を悪者にすることに慣れている我々は、国や企業から現金を受け取るときに、なんやかやと書類を書かされる。「なぜ、こんな事務作業をやらされるのか」とイライラし、怒り、絶望する。

このように、我々は事務を嫌い、疎んじ、ときに恨んだりする反面、事務の魅力に取り憑かれ、「事務愛」のようなものがあるようだ。まさに、事務は、ambivalentな性格を持っている。

フランス革命の際、ギロチンに掛けるために作られた訴追状を事務職員が捨ててしまったために数百人の命が救われたという逸話がある。強い権力も、事務の前に平伏すこともあるのだ。

事務は、ときに「どうでもいい」と思われがちだが、事務処理の持つ必要性、機能そして底力のあることも否定できない。

 

こんな出だしで始まる「事務に踊る人々」(阿部公彦著)は、私の思いを言い当てる名著である。

 

 

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